ファシズム
先週、2009年初版の新書を図書館で借りた私。こういう時事ネタ新書は、旬のうちに読むべきものだとは思うんですが、なぜ7年近くも経って手に取ったかといえば、単に佐藤優の新刊だと勘違いしただけだったりするのです。奥付を確認すれば一発なのに、それを怠った私が全面的に悪い。しかし、「過去を振り返る」という視点で読めば、それはそれなりに面白い。私は本が出てから7年の世界の動きを知っている。犯人がわかっている推理小説(つまり、謎解きの過程を楽しむタイプの小説)のようなものだ。というより、単に7年前の予測のハズレっぷりをみて手を叩いて喜びたいという外道さ故かもしれないね。ま、佐藤優の予測が、完全に外れてるわけでもないんですけど。
さて、本書のタイトルは「テロリズムの罠」なんですが、2冊読んでも、いわゆる一般的なテロリズムは出てきません。2009年はまだテロ=アルカイダの時代 だと思うんですが、アルカイダの「ア」も出てこない。むしろもっと根源的なテロリズムというか、なんというか・・・「秋葉原無差別殺傷事件」を社会テロと結びつけている論考があるくらい。そういう意味では、佐藤優の(新書)本に多い、タイトル詐欺です。雑誌に載せていたものをまとめているだけなので、1章1章の連続性はあっても、ちょっとわかりにくい。 [1] … Continue reading内容としては新自由主義が7割、ファシズムについてが3割といったところだと思います。
で、経済については興味ないというか(本当はそういうの、いけないんですけどね。)、語るほど思考がまとまっていないので、今回は、ファシズムについて。佐藤優がムッソリーニから引用して曰く
ファシズムの基調は国家の観念だ。ファシズムにとつては、国家は絶対的なものである。(右巻P7)
とのこと。さらにあとがきでは
ファシズムには、さまざまな形態がある。ファシズムは、国家が国民の能動性を引き出して、束ねる運動だ。したがって、束ねられることを選択した人々は、国家によって庇護される同胞になる。これに対して、束ねられることを拒否した人々は、非国民として処遇される。(右巻P231)
と自分のことばで説明。ふむふむ、なるほどね。そもそも、紋章?からしてそうだものね。まぁ、もう少し一般的な定義でも調べてみるかとググってみたところ
権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制。イタリアのファシスト党の活動から起こる。(Googleで検索した時に出てくる定義)
第一次大戦後に現れた全体主義的・排外的政治理念,またその政治体制。自由主義を否定し一党独裁による専制主義・国粋主義をとり,指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧,対外的には反共を掲げ侵略政策をとることを特色とした。イタリアのファシスト党に始まる。ファッショ。(三省堂 大辞林)
と、さまざま。ってか、Googleの定義はザックリしすぎだろ・・・ウィキペディアに至っては「ファシズムの定義」というページが作成されているので、要は「明確な定義はない」ってことでしょう。
んで、佐藤優はオバマ大統領の大統領選勝利演説で語られた「我々はアメリカ合衆国だ」という点にファシズムの萌芽を見出しているようですが、さて、あれからオバマ大統領の任期もほぼ尽きて、今のアメリカはどうなのか?まぁ、歴史をみるかぎり、ファシズムの結果「束ねられることを拒否した」のではなく、国家に「拒否された」人々のほうが圧倒的に多く存在することになるんでしょうが、今のアメリカに「拒否された人々」はいるのか?イスラム系の人々?今回のパリのテロにおいて、シリア難民の受け入れ拒否など、その傾向に拍車がかかったように思えるものの、まだ、国としてイスラム系の人を拒否するレベルには至っていないと思う。ま、アメリカに暮らしているわけではないので、太平洋を挟んで眺める限り・・・の印象ですが。そして、ムッソリーニのイタリアでは一体誰が拒否されたのか? [2]ナチスドイツ、これはわかりやすい。戦前の日本では誰だろう?共産主義者とかかな?どうも、その辺がわからない。これは単に私の不勉強ですな。ついでに言えば、今はやりの学生デモで「No fascism」とか掲げてますが、危機感としては、なかなかよろしいのではないか?ただし、一般的な定義における「対外的には侵略的」というのは、今の日本に当てはまってないと思いますけどね。
そもそも、ドイツもイタリアも他のヨーロッパ諸国に比べると、国として一つにまとまるのが遅かった。もちろんプロイセンによる統一だとか、イタリア王国とか、一応1世紀近く統一されてはいたものの、国としての何かが足りなかったのではないか?今でいう同胞感とかそういうものが。だから、ファシズムでまとめ上げるシステムが生まれたんではないか?と私は考えた。・・・となると、ここでまた困るのが、我が国日本。戦国時代や江戸時代、明治時代に、「日本人」としての国に対する何かしらの感情、日本人としての同一性を持っているという感覚を、日本人は持っていなかったのだろうか?というか、そもそも日本はファシズムの国だったのか?戦前、ファシズムの思想に魅了された人は多くいたようですが。うーむ。政治思想は奥が深いなり。共産主義との関連もなかなか複雑で、なんというのか、血のつながりはないが、瓜二つのドッケンベルガーみたいなものか?あぁ、なんと難しい!
難しいついでに、これ系の話題を考えると自分自身に絶望したくなるのが、哲学的教養のなさ。そもそも、国家とはなんなのか?まぁ、基本的な定義からすれば「領土、国民、権力」を保有するもの、あと「他国からの承認」を必要とするものでしょう。では、イスラム国は?「領土」と「領民(不本意かもしれませんけど、ま、どの国にも不本意な国民はいるものだ)」、「権力(暴力)」は持っている。他国からの承認はもちろんないが、世界が口を揃えて「国として認めない」という、その「国として認めない」のうちに「国として認めてやるものか」→「認めたら国となる」という危うさを感じる。つまり、裏返しにほぼ国なのではないか?ま、私も国として認めませんけどね。 [3]イスラム国については、これから集中的に本を読む予定なので、そのあとまた纏めます。また、国家と政府の違いはなんなのか?政府とはなにか?政治家か、官僚か、それとも国家の(人を超えた)意思なのか?こういうのを、佐藤優の受け売りではなく、本気で考えようとすると、マルクスに手を出し、マルクスを理解するためにヘーゲルに手を出し、ヘーゲルのためにカント、カントのために・・・と政治哲学全般を勉強せざる得ない。私のこれからの人生をかけても、自分で納得出来るレベルで勉強できるのか、考えただけで絶望です。
最後に何点か本の感想。
ロシアはグルジア戦争前後で変わったのか?→本を読む限り、この戦争がターニングポイントという主張を感じる。まぁ、そのあとウクライナが続いてくるわけで、確かにロシアが近隣諸国に対して、軍事行動を仕掛けるハードルはより下がってたんでしょう。でもチェチェンは?ロシア連邦内の共和国だから、内戦扱いってことなんだろうか?
田母神論文はクーデターを国民に思い起こさせたのか?→「自衛隊員の士気と能力は高い、正義感も強い(じゃないと自衛官にはならんだろう)、故にクーデターの可能性を検証し、隊員を政治から遠ざけて国家主義思想を神秘化させるのではなく、きちんと教育せねばならぬ」というのが佐藤優の大体の趣旨だと思われる(右巻P218〜219)。まぁ、それは確かにそうなんだが、田母神論文がクーデターに繋がる危険性を国民が感じていた、という点についてはちょっと疑問。どちらかといえば、彼の言動により自衛官が政治の世界に入ってきた、という程度の認識だったのではと思う。ま、実際その後入ってきた人もいますし・・・問題はその是非(結果だけではなく、過程についても)が議論されていないことではないか?現役自衛官が政治に口を出す [4] … Continue reading、そのことについて、それこそ国民全体で考えていくべきだろう。今まで一度もちゃんと考えたことがなかったんだから。
References
| ↑1 | あとね、右巻の「恐怖と不安とファシズム」3章は相当読みにくい。資本論と宇野弘蔵と滝沢克己を援用というか、引用しまくりなので、そもそも資本論とか基本的な知識がないと辛い・・・つらかった・・・ |
|---|---|
| ↑2 | ナチスドイツ、これはわかりやすい。戦前の日本では誰だろう?共産主義者とかかな? |
| ↑3 | イスラム国については、これから集中的に本を読む予定なので、そのあとまた纏めます。 |
| ↑4 | という言い方もどうかと思うんですが。自衛官も国民な訳で、日本は民主主義国家な訳だから、国民として政治に参加する権利はあるはず。まぁ、公人としてという場合、彼らがもつ暴力の後ろ盾もある訳だし、いろいろ微妙ですけどね。 |
お久しぶりです。
御自分で「見識がない。」とおっしゃりながらも、(おこがましいようですが)的を得ていると思う思考に感服します。
ファシズム(ナチの大先輩!)を掲げたイタリアも、何度も歴史を塗り替えているドイツも、次いでに日本も、結局、WW2前では遅れてきた先進国=帝国主義国だったわけですよね。その時の段階で、国際社会は侵略を許容してたか、後進国の利益を尊重してたか、遅れてきた発展国が生き残れる道を許してたか、特に、ドイツとイタリアは国民国家としてなりたっていたか?
ファシズムを否定したとしても、それを持ち出した国を否定する前に、様々な要因を考慮すべきですね。
かつて、ある建国の人は言いました。
「我々は国を作った。次は国民を作らなければならない。」
ウエストファリアまで、どれだけの血が流れたのか、そして、今の我々はどれだけ理性を持っているのか、その双方の考察は、我々全員がしなければなりませんね。